SSP2期〈単独性=シンギュラリティをめぐって〉を開講します

森脇の個人セミナー「哲学のシークレット・サービス」(SSP)の二期の募集がとうとう始まりました。

開講時期は10月〜来年1月。テーマは〈単独性=シンギュラリティをめぐって〉です。

「シンギュラリティ」という語は、最近、テック系の文脈を中心にいろいろなところで使われるようになりました。

カーツワイルのいう「シンギュラリティ」とは、テクノロジーの発達によって、未来のある点で、予測不可能な変化が起き、人間社会は激変する。そのような、ある意味で「終末論的」な含意が込められた言葉です。

しかし、シンギュラリティという語はテック思想の専売特許ではなくもともと数学や物理学の用語で、哲学の分野でも使われてきた言葉です。哲学では、シンギュラリティは「単独性」や「特異性」と訳されます。

特に日本では、柄谷行人が『探究』のシリーズで「単独性」の概念を用いたことで広く影響力を与えました。柄谷は他の誰とも交換不可能な「この私」を指すためにこの言葉を用い、それを軸に他者とのコミュニケーションを考え直しました。

そこで、このセミナーでは、哲学的な「単独性」と、エンジニア思想における「シンギュラリティ」、ふたつのシンギュラリティの「あいだ」で何が起きたのか、哲学的・批判的に考えます。

Aセミナー〈ふたつのシンギュラリティ〉では、「単独性」の哲学的射程と、「シンギュラリティ」論の批判的な比較を行い、今後のシンギュラリティ概念の行く末を考えます。

第三回では日本での思弁的実在論の受容・紹介に尽力してこられた仲山ひふみさんがゲストで登壇されます。仲山さんは12月に刊行されるレイ・ブラシエの『解き放たれた無』(ニヒル・アンバウンド)の訳者でもあるので、このお話を伺う機会でもあるでしょう。ブラシエのいう「絶滅」とは何か? それはシンギュラリティ論とどう関係するのか?

Bセミナー〈『死を与える』を読む〉は講読です。デリダの『死を与える』をまるごと一冊、解説します。

『死を与える』(ちくま学芸文庫)

『死を与える』は僕がデリダの後期の主著とみなしているテキストで、デリダはここで「私」の系譜学を描こうという壮大な構想を試みています。

考察は哲学、宗教、政治、文学をまたがって進み、交換不可能な私と他者、責任、秘密、決断、赦し、贈与など後期デリダの概念が次々と提出される……鬼気迫ったスリリングなテクストで、僕自身大きな愛着があるテクストです。Aセミナーで僕が考えたいことの「元ネタ」というか、発想の基盤は『死を与える』にあります。

なかなか一冊をゆっくり読み進めるという機会もないと思うので、この機会にぜひみなさんと一緒に読み進めていきたい。よろしくお願いいたします。

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